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#スティグマ の三重構造:外なる、内なる、システムの中の偏見 #リカバリー #こころの病の回復の道

スティグマの三重構造:外なる、内なる、システムの中の偏見 スティグマは単なる社会の無理解ではなく、当事者を取り巻く環境全体に存在する構造的な抑圧として捉えられます。この構造は、大きく分けて三層からなります。 2.1 外なるスティグマ(社会とSNS、マスメディアからの偏見) 外なるスティグマは、社会やSNS,ウェブサイト、マスメディアを通じて形成される、精神障害者に対する一般的な偏見です。これは、当事者が社会に出ることをためらわせ、孤立を深める主要因となります。 アンチスティグマ活動では、この「外からのスティグマ」をなくすために、地域のあらゆる集まり、例えば小学校、中学校、高校、大学、ソーシャルワーカーの大学、ロースクール、メディカルスクール、地域のクラブ、女性サークルなど、ありとあらゆる場所に精神疾患をもつ当事者がチームを作って訪問し、講演をしてきた事例が世界各地であります。 2.2 内なるスティグマ(セルフスティグマ) 内なるスティグマとは、社会的な偏見を当事者自身が内面化し、自己蔑視や自己否定に陥ることです。 当事者は、かつて病気になる前に、精神病を持つ人に対して偏見を持っていたことや、専門家や家族、病気になる前の自分もみんな偏見に満ちているのではないかと考え、思考や発言が抑制されます。この内なる偏見は、当事者がシステム内部からの言葉や仕草を咀嚼し、栄養を付けた結果として、「おかしな物の見方」として身となり血となって完成したものだと分析することができます。 しかし、リカバリーの過程にあるロールモデルとなる当事者がどんどん増え、その生きる姿勢を見たり、リカバリーストーリーを聞いたりすることで、内なるスティグマはが級数的に小さくなることが期待されています。 2.3 精神保健システムの中のスティグマ(中なるスティグマ) 伝統的なスティグマ概念である、従来の「外なるスティグマ」と「内なるスティグマ」に加えて、「中なるスティグマ」という概念を提示することになります。 これは、精神保健システム内部、特に専門職と当事者との間のヒエラルキーや、当事者同士の間で生じる偏見や差別です。 【最後までお読みいただきありがとうございます。 もしよければ、アンケートにお答えいただけますと幸いです。】 https://forms.gle/zG75PkzCJJi6ns529

#スティグマ の性質:病気の苦しみを凌駕する #抑圧 #リカバリー #こころの病の回復の道

スティグマの性質:病気の苦しみを凌駕する抑圧 私たち精神障害者が社会で生きる上で、病気の症状そのものからくる苦痛以上に、スティグマ(偏見や差別)からくる苦しみが大きいという事実は、当事者コミュニティにおいて共通の認識となっています。スティグマは、当事者の人間としての尊厳、機会、そして最も重要な正気さを奪う、構造的な暴力とも言えるものです。 1.1 奪われるべきでない「正気の沙汰」 精神病を患う当事者でも、その核には「正気」があります。しかし、精神保健システムや社会は、当事者の自然な感情の表出を「病気の症状」として捉え、管理下に置こうとします。 過去に筆者の精神疾患をもった友人は6人も突然死しました。オーストラリアの当事者ジャネット・メアは、この事態を目の当たりにして「怒るのがふつうだろう」と述べました。この怒りは、私たちが人間だからこそ生じる感情であり、まさしく正気の沙汰です。にもかかわらず、その怒りを表出することで、「怒っていると精神病の症状だとして病院に連れて行かれるのでしょうか」という根源的な不安に晒されることになります。 スティグマは、私たちの人生の価値そのものを低下させます。精神保健システムそのもののおかげで、精神病が良くなることはある一方で、主張的(アサーティブ)でなくなる、自尊心がなくなる、経済的に貧しくなる、社会に参加する機会が低下する、自分で自分を守る能力が低くなるといった喪失を引き起こします。精神病になると、信用が低下し、家族を喪失し、参加の機会を喪失し、そして性的関係を喪失するといった、人間関係の根幹を揺るがす事態が起こるのです。 筆者は精神疾患を持った当事者自身の経験として、19歳で初めて精神疾患になっていると感じた時、まだ始まってもいないのに自分のキャリアは終わったと感じました。これは、精神疾患がどんなものか知らず、精神疾患を持って生きる人が周囲にいなかったため、絶望感を抱いたからです。 1.2 精神保健業界が強いるライフスタイルの制限 スティグマは、当事者の生活の選択肢を狭めます。精神保健業界(メンタル・ヘルス・ソサイエティ)が当事者に対して、「薬は飲みなさい、人生の身体症状については、あなたは選べない」と人に強制することは、スティグマの一つの現れです。 これは、精神科の患者のライフスタイルを権利として認めるのか、それとも、精神病にかかっ...

#アンチスティグマ #リカバリー #こころの病の回復の道

デジタルプラットフォームと存在の確認 現代において、当事者の「語り」と活動は、デジタルプラットフォームによって広がりを見せています。NPO法人コンボは、当事者が本音の言葉を発信し続けるプラットフォームとしての責任を担っています。 ウェブ解析の仕事を通じて、筆者は世の中の事柄が浮かび上がってくる時があることに気づきました。例えば、「オーバードーズ+自傷」「オーバードーズ+自殺」といった検索キーワードでウェブサイトにアクセスしてくる人々が増えている状況があります。 オーバードーズや自傷行為は、周りからは驚かれ、やめてほしいと思われる行為ですが、ウェブ解析から、これらの検索をして当事者の記事にたどり着いた人は、生き残るために行っているのだろうと解釈されています。彼らがコンボのウェブサイトにアクセスしていることが確認されるたびに、「その人はまだ生きているのだ」という事実が確認され、安堵が得られます。 この孤立の中にある人々の「どうしようもない」という困りごとに対して、ピアの経験に基づいた回答(例えば、日記を書くことで一日一日生きてきた)を提供することこそが、当事者活動の重要な戦略となります。 リカバリーは、当事者が孤立から抜け出すために決定的に必要であり、薬は孤立に関しては全く役に立ちません。 この孤立をなんとかするのは、リカバリーの過程にある精神障害者たちが、孤立している仲間に自分たちを発信していくこと以外にはないのです。 アンチスティグマとは、当事者が自らの存在を肯定し、その声をシステムと社会に届け、水平な関係性の構築を要求し続けることであり、その活動の継続こそが、スティグマを解消し、社会全体を変化させるための確かな力となるのです。 【最後までお読みいただきありがとうございます。 もしよければ、アンケートにお答えいただけますと幸いです。】 https://forms.gle/zG75PkzCJJi6ns529

#トークニズム の罠と当事者の尊厳の確保 #リカバリー #こころの病の回復の道

  トークニズムの罠と当事者の尊厳の確保 アンチスティグマ活動の最大のバリアは、リカバリーの最中にいる当事者の口を封じることです。当事者の参画が広がるにつれ、日本国内の様々な委員会や学会で、言い訳として当事者の椅子が一つだけ用意される慣習、すなわちトークニズムの罠が存在します。 トークニズムとは、「あなたは発言してもいいです、でも意見は聞きいれません」という姿勢を示すものであり、この罠にはまった当事者は「ショーケースに入った当事者」と呼ばれ、屈辱的な思いをします。当事者は、ゲームセンターのコイン(トークン)と同じような価値でしか扱われないと感じるのです。 実際に、当事者は学会のシンポジウムに参加する際、「いわゆるお歴々の精神保健福祉医療の専門家の発表があって、一通り終わって、『じゃあ当事者の方はどういう感想を持ちましたか?』という立場で参加することが多い」と、その扱いには疑問を感じます。 また、国際会議の場においても、当事者ミーティングが理事会の圧力で削減されたり、当事者決議の発表の場で壇上にあがることすら警備上の理由で拒否され、フロアからの発言しか許されないといった差別的な扱いを受けました。 筆者は、次に続くほかの当事者が発言をするときの準備とするため、悲観、絶望、無力、恐怖を感じながらも、あえてトークニズムの罠に足を突っ込み、自らショーケースに入ってみようという覚悟をした経験があります。 【最後までお読みいただきありがとうございます。 もしよければ、アンケートにお答えいただけますと幸いです。】 https://forms.gle/zG75PkzCJJi6ns529

#スティグマ の解剖:病気の苦しみを超える構造的抑圧 #リカバリー #こころの病の回復の道

  スティグマの解剖:病気の苦しみを超える構造的抑圧 精神障害を持つ当事者が直面する苦痛は二重構造を成しています。一つは病気そのものの苦しみであり、もう一つはスティグマ(偏見や差別)による苦しみです。当事者の声は、多くの場合、スティグマによる苦しみのほうが大きいと訴えます。スティグマとは、「あなた」をよく知らないうちに、何かを前提にしてしまう態度または信念であり、人から力を奪い、良い関係を作ることを引き下げてしまうものです。 当事者が直面するスティグマは、外部、内部、そしてシステム内部に存在する三重構造として認識されています。 1. 外なるスティグマ : メディアや世論といった社会全体からの偏見や差別です。 2. 内なるスティグマ(セルフスティグマ) : 外部の偏見を内面化し、「人から拒否されるのではないか」という恐怖を抱くことです。当事者は、かつて病気になる前に抱いていた偏見(「一般の人は偏見に満ちている」という偏見)を自らが持っていたこと、そして専門家や家族、病気になる前の自分もそれぞれが、偏見に満ちていること認めていることの継続です。 3. 精神保健システムの中のスティグマ(中なるスティグマ) : 精神保健システムの専門家や関係者、さらには当事者同士の間で生じるスティグマ的行為です。 例えば、当事者同士で「私はうつ病、あなたはアルコール中毒、私のほうがよい」といった意味のない優劣の態度を持つことや、専門職によるデパワー的な見方が私たち当事者に乗り移ることなどがこれにあたります。 この中なるスティグマは、当事者がシステム内部の「中の人」からの言葉や仕草、信号を一生懸命に受け取り、咀嚼し、栄養を付けた結果、「おかしな物の見方」として身となり血となって完成したものだと分析されます。 2. 「語り」の絶対的価値とアンチスティグマの戦略 スティグマを解消し、真のリカバリーを実現するための鍵は、当事者自身の経験と「語り」車の両輪です。リカバリーの過程にいる当事者が増え、その生きる姿勢やストーリーを見せることで、世の中からスティグマは減っていくと考えられています。 経験はエビデンスである 私たち精神障害者は、全世界で見渡しても共通して「語るべきストーリーがある」という特質を持っています。このストーリーは、何ごとにも代えがたい、価値あるものであり、他人には評価できない...

#リカバリー #こころの病の回復の道 #チャレンジの責任

チャレンジの責任:リカバリーとは自分で責任を引き受ける生き方 リカバリーは、主体的な選択と、それに伴う責任の引き受けの上に成り立っています。リカバリーは、精神障害を持つ私たちが、自分で考え、自分で選択し、責任を持ち、語ることが大切であるとされています。 決定と責任の再獲得 リカバリーは、世界中の当事者同士で認められている最小限の4原則のうちの二つ、「決定すること」と「責任を取ること」に集約されます。 リカバリーの人生とは、自分で決めた人生の責任を自分で取らないといけないと考えられる時がくる、ということです。この責任を取る態度の回復こそが、リカバリーを優先させる医療や看護において、何はなくとも必要であるとされています。 リカバリーの過程にある当事者は、これまで誰かが運転してくれる高級車の助手席に座ってぼんやりとしてきた状態から、「自分で運転席に座って、ボロボロでもいいから自分の車を、自ら運転するように」なるのです。自分で責任が取れれば、どんな選択をしてもいいという考え方こそが、リカバリーの根幹です。 ライフスタイルと自己管理の権利 この「責任」と「決定」の原則は、具体的なライフスタイルや治療の選択にも及びます。 リカバリーの過程においては、自ら諦めてしまった、または奪われてしまった主体性を回復し、自分の世界をコントロールしていくことこそが、最も重要です。 例えば、当事者にとって、自傷行為やオーバードーズといった行動も、生き残るために行っている行為であると解釈されます。自傷行為やオーバードーズを検索し、関連する記事を読むことで、その人は、まだ生きていることを確認できるという事実を見ると、当事者が自らの意思で、助けがないか求め、何とか自分で解決しようとしているという、人間の生きる力の証しなのです。 このように、再発やチャレンジを「私という名の自然現象」の一部として受け入れ、その上で人生の責任を自ら負うという生き方を選択することが、当事者にとってのリカバリーであり、精神保健業界はこの当事者の正気を尊重することが、システム変革の出発点となります。 【最後までお読みいただきありがとうございます。 もしよければ、アンケートにお答えいただけますと幸いです。】 https://forms.gle/zG75PkzCJJi6ns529

#リカバリー #こころの病の回復の道 #私という名の自然現象

    精神病は「私という名の自然現象」であるという肯定 再発を肯定的に捉える視点は、精神病に対する根本的な見方の変化(ものの見方が変わること)と結びついています。それは、精神病を「困りごと」「治すべきもの」といった社会的な価値判断から切り離し、自然の摂理として受け入れることです。 病気は体の病気であり、自然現象である 再発すると、当事者は精一杯自分と戦い、自分を責め、常に苦しい状態が続きます。病気そのものの苦しみだけでなく、社会から自分の責任で離れてしまったという苦痛、そして何も力が出てこない苦しみの中で、ある一瞬冷静になる時があります。 その瞬間だけは「私という自然現象」と戦っていないのではないかと気づきます。精神病は、心の病、脳の病気と言って説明が試みられますが、当事者自身の経験から言えば、要するに体の病気なのです。 当事者は、自身の肉体そのものが、あくまでも自然現象であるとある一瞬気がつくことがあります。その時、一瞬だけ冷静になり、自分の体が思ったよりもコントロールの効かないものであることを肉感的に自覚できるのです。 当事者は、この「私という自然現象」に向き合い、観察し、付き合っていくことを選ぶのです。再発は、必然的に起こるべくして起こったし、起こる必要があったのだと、建前ではなく本音で再発を肯定できるようになることが、リカバリーの重要なステップとなります。 【最後までお読みいただきありがとうございます。 もしよければ、アンケートにお答えいただけますと幸いです。】 https://forms.gle/zG75PkzCJJi6ns529

#リカバリー #こころの病の回復の道 #チャレンジと失敗を繰り返す

  リカバリーは「症状が悪化してもOK」なプロセス リカバリーの道は、決してたやすいものではなく、平坦なものでもありません。当事者にとって、リカバリーとは、良い状態でも悪い状態でも紆余曲折のある、その人らしい生き方、そして希望を持って生きることそのものです。この過程において、「再発」や「再燃」は避けるべき「失敗」ではなく、プロセスに包含される必然的な要素であると捉えられています。 私たちは、病気を発症した後、まわりの許可されたことだけで満足し、自分で判断することを放棄してしまう期間を経験しがちです。しかし、リカバリーに目覚めた当事者の人生は、自分で決めたチャレンジの連続となります。 このチャレンジは、自分の価値に合わせて行動するものであり、一見、他の人から見れば無謀なこともあるかもしれません。そして、そのチャレンジの結果として、症状が悪くなったり、小さな再発をしたり、長期間の大きな再発をしたりすることもあります。 リカバリーの過程にある当事者は、受診のたびに主治医から再発防止を考える医療やメッセージを受け、周りの人からはいろいろなことを止められる経験を重ねます。その結果、再発をするたびに「自分はだめな人間なんだろうか」と考えてしまい、辛くなってしまうことが他の当事者からも報告されています。 しかし、リカバリーの道筋においては、再発の可能性を否定しないで、チャレンジすることもリカバリーのプロセスの一つであると強く主張されています。リカバリーの道は決して平坦なものではありませんでしたが、そんな過程もリカバリーの旅の一つではないかと少し考えられる時が来ます。 「再発=悪」という発想への批判 精神科医療従事者の中には、再発=悪という発想が見受けられるのが事実です。当事者に再発させてはならないという発想が行き過ぎると、それは当事者の主体性を奪うことにつながります。 精神科医療は、精神疾患の自然治癒力と回復する時間を待つことを助けることができますが、慢性化した精神疾患の再発の予防は、精神科医療のみでは不可能だとされています。再発を軽くするためには、環境、コーピング技術、セルフケア、モニタリング、問題解決技術など、多くの要素が必要です。これは精神科医療だけの力でも、当事者の努力だけでもできません。 特に、医学教育の中で精神疾患の再発=悪という印象を学生が持ってしまうと、症...

#リカバリー #こころの病の回復の道 #その背景

リカバリー概念の背景 当事者の立場からは、そもそもリカバリーという言葉は、精神科の医師や福祉関係者、その他の医療従事者が、精神疾患を医学的に治せないので、リカバリーという考え方や、生き方をこねくりあげて造語しないといけなかったのではないか、という推測があります。つまり、医師が治せないからこそ、私たちは主観的に希望を持っている状態、ストーリーを自信を持って語れる状態を「リカバリーの過程にいる」と表現し、そこに価値を見出している状況なのです。 2. リカバリーの4原則—主体性と責任の回復 リカバリーの過程は、私たち当事者が自ら感じ取り、自らストーリーを語り始めるときに覚醒するものです。当事者同士で共有されている最小限の原則として、主に四つの要素が挙げられています。 リカバリーの4原則とは、以下の通りです。 1. 決定(選択)すること 3. ピアサポート(仲間を助けること) 4. ものの見方が変わること(自己同一性の再構成) リカバリーの道は、誰かが運転してくれる高級車の助手席に座ってぼんやりとしてきた状態から、自分で運転席に座って、ボロボロでもいいから自分の車を、自ら運転するようになること、つまり主体性(政治的な力)の再獲得を意味します。 リカバリーを優先させる医療や看護の実現のためにも、何はなくとも当事者が責任を取る態度を回復することが重要であると指摘されています。 再発・再燃はプロセスに包含される リカバリーの道は決して平坦なものではありません。当事者になってからの人生は、自分で決めたチャレンジの連続であり、その中で症状が悪くなったり、小さな再発をしたり、長期間の大きな再発もしたりしてきました。 リカバリーの過程にいる人々は、再発防止を考える医療やメッセージを主治医から受けることが多く、再発をするたびに「私はだめな人間なんだろうか」と自分を責めてしまいがちです。しかし、当事者自身の経験から、再発は「私という名の自然現象の一つだった」と肯定できる時が来ます。 ピアサポートの決定的な影響 リカバリーの4原則の一つであるピアサポート(仲間同士の支え合い)は、リカバリーのターニングポイントに最も影響を与えるものとされています。 リカバリーにおける決定的に必要なことは、孤立した状態から抜け出すことであり、孤立に関しては薬は全く役に立ちません。ピアサポート・グループに参加した途...

#リカバリー #こころの病の回復の道  「 #語るべきストーリー 」の総体

  1. パーソナルリカバリーの唯一性:専門職が設定する指標への批判 リカバリーは「語るべきストーリー」の総体 私たち精神障害者にとってのリカバリーは、外部からの評価や診断名とは無関係な、自らの「語るべきストーリー」の全体を合わせたものです。この「ストーリー」とは、「自分のことを振り返ってみて、印象に残ること」であり、自分だけの大切な物語です。 リカバリーは、終わりのないストーリーであり、何かに到達して終わりということではありません。それは過程であり、他人には評価できないものです。当事者が経験することは、何ごとにも代えられない、比べようのない、価値あるストーリーなのです。当事者の経験の語りがエビデンスであると主張することは、当事者だけに許されることだとされています。 リカバリーとは、単に病気が回復すること(回復/快復)を指すのではなく、良い状態でも悪い状態でも紆余曲折のある、その人らしい生き方、そして希望を持って生きることそのものです。過去の状態に戻ることではありません。 専門職のリカバリー分類の否定 精神保健福祉の領域では、リカバリーを「パーソナルリカバリー」「社会的リカバリー」「臨床的リカバリー」といった言葉で分類し、議論することがあります。しかし、当事者の立場からすれば、このような分類には意味はありません。なぜなら、パーソナルリカバリーという事柄しかないからです。 専門職が「こうなったらリカバリーしている」「こうすればリカバリーを起こすことができる」といった到達目標を示す場合、その言っているリカバリーは、当事者のリカバリーではなく、医師や専門職が持つべき到達目標でしかないと批判されています。社会的な評価基準を当てはめたとしても、本人の希望や価値、語るべきストーリーにはなんの関係もないからです。 特に以下の二つの分類については、当事者にとって無意味であるとされます。 1. 臨床的リカバリー(Clinical Recovery)批判: 臨床的リカバリーとは、病気の寛解(それ以上の治療の必要がなくなる時期)を待って初めてパーソナルリカバリーが始まるとする考え方ですが、当事者はこれを否定します。 ◦ 精神科医療においては、標準的な診断・治療が普及していないため、医師の主観的な判断によって診断名や薬の処方が決まってしまうという問題があります。 ◦ 医師を変えるた...