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#リカバリー #こころの病の回復の道 #チャレンジの責任

チャレンジの責任:リカバリーとは自分で責任を引き受ける生き方 リカバリーは、主体的な選択と、それに伴う責任の引き受けの上に成り立っています。リカバリーは、精神障害を持つ私たちが、自分で考え、自分で選択し、責任を持ち、語ることが大切であるとされています。 決定と責任の再獲得 リカバリーは、世界中の当事者同士で認められている最小限の4原則のうちの二つ、「決定すること」と「責任を取ること」に集約されます。 リカバリーの人生とは、自分で決めた人生の責任を自分で取らないといけないと考えられる時がくる、ということです。この責任を取る態度の回復こそが、リカバリーを優先させる医療や看護において、何はなくとも必要であるとされています。 リカバリーの過程にある当事者は、これまで誰かが運転してくれる高級車の助手席に座ってぼんやりとしてきた状態から、「自分で運転席に座って、ボロボロでもいいから自分の車を、自ら運転するように」なるのです。自分で責任が取れれば、どんな選択をしてもいいという考え方こそが、リカバリーの根幹です。 ライフスタイルと自己管理の権利 この「責任」と「決定」の原則は、具体的なライフスタイルや治療の選択にも及びます。 リカバリーの過程においては、自ら諦めてしまった、または奪われてしまった主体性を回復し、自分の世界をコントロールしていくことこそが、最も重要です。 例えば、当事者にとって、自傷行為やオーバードーズといった行動も、生き残るために行っている行為であると解釈されます。自傷行為やオーバードーズを検索し、関連する記事を読むことで、その人は、まだ生きていることを確認できるという事実を見ると、当事者が自らの意思で、助けがないか求め、何とか自分で解決しようとしているという、人間の生きる力の証しなのです。 このように、再発やチャレンジを「私という名の自然現象」の一部として受け入れ、その上で人生の責任を自ら負うという生き方を選択することが、当事者にとってのリカバリーであり、精神保健業界はこの当事者の正気を尊重することが、システム変革の出発点となります。 【最後までお読みいただきありがとうございます。 もしよければ、アンケートにお答えいただけますと幸いです。】 https://forms.gle/zG75PkzCJJi6ns529

#リカバリー #こころの病の回復の道 #私という名の自然現象

    精神病は「私という名の自然現象」であるという肯定 再発を肯定的に捉える視点は、精神病に対する根本的な見方の変化(ものの見方が変わること)と結びついています。それは、精神病を「困りごと」「治すべきもの」といった社会的な価値判断から切り離し、自然の摂理として受け入れることです。 病気は体の病気であり、自然現象である 再発すると、当事者は精一杯自分と戦い、自分を責め、常に苦しい状態が続きます。病気そのものの苦しみだけでなく、社会から自分の責任で離れてしまったという苦痛、そして何も力が出てこない苦しみの中で、ある一瞬冷静になる時があります。 その瞬間だけは「私という自然現象」と戦っていないのではないかと気づきます。精神病は、心の病、脳の病気と言って説明が試みられますが、当事者自身の経験から言えば、要するに体の病気なのです。 当事者は、自身の肉体そのものが、あくまでも自然現象であるとある一瞬気がつくことがあります。その時、一瞬だけ冷静になり、自分の体が思ったよりもコントロールの効かないものであることを肉感的に自覚できるのです。 当事者は、この「私という自然現象」に向き合い、観察し、付き合っていくことを選ぶのです。再発は、必然的に起こるべくして起こったし、起こる必要があったのだと、建前ではなく本音で再発を肯定できるようになることが、リカバリーの重要なステップとなります。 【最後までお読みいただきありがとうございます。 もしよければ、アンケートにお答えいただけますと幸いです。】 https://forms.gle/zG75PkzCJJi6ns529

#リカバリー #こころの病の回復の道 #チャレンジと失敗を繰り返す

  リカバリーは「症状が悪化してもOK」なプロセス リカバリーの道は、決してたやすいものではなく、平坦なものでもありません。当事者にとって、リカバリーとは、良い状態でも悪い状態でも紆余曲折のある、その人らしい生き方、そして希望を持って生きることそのものです。この過程において、「再発」や「再燃」は避けるべき「失敗」ではなく、プロセスに包含される必然的な要素であると捉えられています。 私たちは、病気を発症した後、まわりの許可されたことだけで満足し、自分で判断することを放棄してしまう期間を経験しがちです。しかし、リカバリーに目覚めた当事者の人生は、自分で決めたチャレンジの連続となります。 このチャレンジは、自分の価値に合わせて行動するものであり、一見、他の人から見れば無謀なこともあるかもしれません。そして、そのチャレンジの結果として、症状が悪くなったり、小さな再発をしたり、長期間の大きな再発をしたりすることもあります。 リカバリーの過程にある当事者は、受診のたびに主治医から再発防止を考える医療やメッセージを受け、周りの人からはいろいろなことを止められる経験を重ねます。その結果、再発をするたびに「自分はだめな人間なんだろうか」と考えてしまい、辛くなってしまうことが他の当事者からも報告されています。 しかし、リカバリーの道筋においては、再発の可能性を否定しないで、チャレンジすることもリカバリーのプロセスの一つであると強く主張されています。リカバリーの道は決して平坦なものではありませんでしたが、そんな過程もリカバリーの旅の一つではないかと少し考えられる時が来ます。 「再発=悪」という発想への批判 精神科医療従事者の中には、再発=悪という発想が見受けられるのが事実です。当事者に再発させてはならないという発想が行き過ぎると、それは当事者の主体性を奪うことにつながります。 精神科医療は、精神疾患の自然治癒力と回復する時間を待つことを助けることができますが、慢性化した精神疾患の再発の予防は、精神科医療のみでは不可能だとされています。再発を軽くするためには、環境、コーピング技術、セルフケア、モニタリング、問題解決技術など、多くの要素が必要です。これは精神科医療だけの力でも、当事者の努力だけでもできません。 特に、医学教育の中で精神疾患の再発=悪という印象を学生が持ってしまうと、症...

#リカバリー #こころの病の回復の道 #その背景

リカバリー概念の背景 当事者の立場からは、そもそもリカバリーという言葉は、精神科の医師や福祉関係者、その他の医療従事者が、精神疾患を医学的に治せないので、リカバリーという考え方や、生き方をこねくりあげて造語しないといけなかったのではないか、という推測があります。つまり、医師が治せないからこそ、私たちは主観的に希望を持っている状態、ストーリーを自信を持って語れる状態を「リカバリーの過程にいる」と表現し、そこに価値を見出している状況なのです。 2. リカバリーの4原則—主体性と責任の回復 リカバリーの過程は、私たち当事者が自ら感じ取り、自らストーリーを語り始めるときに覚醒するものです。当事者同士で共有されている最小限の原則として、主に四つの要素が挙げられています。 リカバリーの4原則とは、以下の通りです。 1. 決定(選択)すること 3. ピアサポート(仲間を助けること) 4. ものの見方が変わること(自己同一性の再構成) リカバリーの道は、誰かが運転してくれる高級車の助手席に座ってぼんやりとしてきた状態から、自分で運転席に座って、ボロボロでもいいから自分の車を、自ら運転するようになること、つまり主体性(政治的な力)の再獲得を意味します。 リカバリーを優先させる医療や看護の実現のためにも、何はなくとも当事者が責任を取る態度を回復することが重要であると指摘されています。 再発・再燃はプロセスに包含される リカバリーの道は決して平坦なものではありません。当事者になってからの人生は、自分で決めたチャレンジの連続であり、その中で症状が悪くなったり、小さな再発をしたり、長期間の大きな再発もしたりしてきました。 リカバリーの過程にいる人々は、再発防止を考える医療やメッセージを主治医から受けることが多く、再発をするたびに「私はだめな人間なんだろうか」と自分を責めてしまいがちです。しかし、当事者自身の経験から、再発は「私という名の自然現象の一つだった」と肯定できる時が来ます。 ピアサポートの決定的な影響 リカバリーの4原則の一つであるピアサポート(仲間同士の支え合い)は、リカバリーのターニングポイントに最も影響を与えるものとされています。 リカバリーにおける決定的に必要なことは、孤立した状態から抜け出すことであり、孤立に関しては薬は全く役に立ちません。ピアサポート・グループに参加した途...

#リカバリー #こころの病の回復の道  「 #語るべきストーリー 」の総体

  1. パーソナルリカバリーの唯一性:専門職が設定する指標への批判 リカバリーは「語るべきストーリー」の総体 私たち精神障害者にとってのリカバリーは、外部からの評価や診断名とは無関係な、自らの「語るべきストーリー」の全体を合わせたものです。この「ストーリー」とは、「自分のことを振り返ってみて、印象に残ること」であり、自分だけの大切な物語です。 リカバリーは、終わりのないストーリーであり、何かに到達して終わりということではありません。それは過程であり、他人には評価できないものです。当事者が経験することは、何ごとにも代えられない、比べようのない、価値あるストーリーなのです。当事者の経験の語りがエビデンスであると主張することは、当事者だけに許されることだとされています。 リカバリーとは、単に病気が回復すること(回復/快復)を指すのではなく、良い状態でも悪い状態でも紆余曲折のある、その人らしい生き方、そして希望を持って生きることそのものです。過去の状態に戻ることではありません。 専門職のリカバリー分類の否定 精神保健福祉の領域では、リカバリーを「パーソナルリカバリー」「社会的リカバリー」「臨床的リカバリー」といった言葉で分類し、議論することがあります。しかし、当事者の立場からすれば、このような分類には意味はありません。なぜなら、パーソナルリカバリーという事柄しかないからです。 専門職が「こうなったらリカバリーしている」「こうすればリカバリーを起こすことができる」といった到達目標を示す場合、その言っているリカバリーは、当事者のリカバリーではなく、医師や専門職が持つべき到達目標でしかないと批判されています。社会的な評価基準を当てはめたとしても、本人の希望や価値、語るべきストーリーにはなんの関係もないからです。 特に以下の二つの分類については、当事者にとって無意味であるとされます。 1. 臨床的リカバリー(Clinical Recovery)批判: 臨床的リカバリーとは、病気の寛解(それ以上の治療の必要がなくなる時期)を待って初めてパーソナルリカバリーが始まるとする考え方ですが、当事者はこれを否定します。 ◦ 精神科医療においては、標準的な診断・治療が普及していないため、医師の主観的な判断によって診断名や薬の処方が決まってしまうという問題があります。 ◦ 医師を変えるた...

#リカバリー #こころの病の回復の道 #自己決定権の放棄と奪われた力

  1. 自己決定権の放棄と奪われた力:周囲の許可の中で生きる状態 私たち精神障害者がリカバリーの道を歩み始めるには、まず、自らの人生において決定権と責任を再獲得する必要があります。しかし、日本の精神保健福祉環境において、この主体性は長年にわたり、専門職や周囲の人々からのメッセージによって奪われ続けてきました。 専門職や周囲からの「がんばらないで」というメッセージの連続は、当事者の自己決定権を奪う始まりです。お医者さんや専門職からは「がんばらないで」「症状が悪いのだから無理しないで」ということばかりを言われ続けます。その結果、当事者はそのうちにまわりから許可されたことだけで満足するようになり、自分で判断すると間違えるものだと思い込むようになります。 私たちは、「あなたが考える必要はありません。私があなたの人生を決めてあげますから」というメッセージばかりを浴び続け、長い時間を経て、自分で判断することをやめてしまい、あるいはそれを放棄してしまいます。 当事者が自ら責任を放棄する背景には、「そのほうが楽だし、角(かど)も立ちません」という意識もあります。夢を持っているのか、誇大妄想を持っているのか、自分でどちらがどちらだか決めることも放棄してしまいます。何をするときも一番近い人に止められてしまうのです。 このような経験が何度も重なると、やる気を出したり、自分で判断したりすること自体が怖くなります。やがて、やる気が出てきたことを、「具合が悪いのだ」と自然に自分で思うようになり、本来人生の絶頂期であったはずの時期を、何もせずに過ごすだけの期間が生まれてしまうのです。 リカバリーとは、この奪われ、あるいは放棄してしまった「決定すること」と「責任を取ること」を、ピアサポートやものの見方が変わることと並行して、再獲得していくプロセスなのです。 2. 管理体制への批判:リカバリーは管理から生まれない原則 リカバリーの過程にある当事者にとって、最も遠い存在、そして最も有害な態度は、当事者を管理する態度です。 「管理からリカバリーは生まれない」。リカバリーの過程にいる当事者は、自らの価値を大切にし、主観的なリカバリーの価値を大切にします。語るべきストーリーは人それぞれであり、他者の入り込む余地はありません。 にもかかわらず、精神保健システムの中には、当事者を管理し、人生の責任まで...

#リカバリー #こころの病の回復の道 「 #管理 」と「 #主体性の放棄 」という構造的な問題

  私たち精神障害者のリカバリーへの道のりは、まず、長年にわたる外部からの「管理」と「主体性の放棄」という構造的な問題に直面することから始まります。 1.1 「がんばらないで」というメッセージが奪う主体性 私たち当事者は、お医者さんや専門職の人たちから、「がんばらないで」「症状が悪いのだから無理しないで」ということばかりを言われ続けます。 そうすると、そのうちに、まわりから許可されたことだけで満足するようになってしまうのです。この状態が続くと、「自分で判断すると間違うものだ」と思い込み、自分で判断することをやめ、あるいはそれを放棄してしまいます。 これは、周囲からの「あなたが考える必要はありません。私があなたの人生を決めてあげますから」というメッセージによって生じる状態です。 私たちは、夢を持っているのか誇大妄想を持っているのかを自分で決めることすら放棄してしまいます。何をするときも、一番近い人に止められてしまうためです。 近しい人から「がんばり過ぎたらだめなんだな…」と言われ続けることは、主体性を奪う要因の一つです。また、「まだ早い」と言われ続けた結果、心の中では「じゃあ、いつやるんだよ!?」と思いながら、いつの間にか年齢を重ねてしまうのです。 この主体性の放棄は、ある意味で「そのほうが楽だし、角(かど)も立ちません」という当事者側の選択でもあります。しかし、この放棄された決定と責任を再び獲得することこそが、リカバリーの始まりなのです。 1.2 リカバリーを阻害する「管理」と専門職の過剰な責任感 リカバリーの過程にある当事者にとって、最も遠いこと、そして最大の障壁となるのは、当事者を管理する態度です。リカバリーは「管理」からは生まれません。管理する態度は、当事者の主観的な価値を奪う行為であり、リカバリーを阻害していることになります。 専門職の中には、当事者の人生の責任まで引き受けてしまう人が多いのですが、当事者の側から見れば、「いったいなぜ管理する必要があるのでしょうか。人生の責任まで取ってほしいと誰がお願いしたのでしょうか」という疑問が生じます。この責任感が、結果的にリカバリーの必要条件を阻害する一因となります。 医師や専門職がリカバリーの過程にいる当事者へ伴走することは不可能ではありませんが、その時に最も大切なことは、本人の邪魔をしないことです。医師は「病気さ...