#トークニズム の罠: #形式的参画 :形式的参画と「 #ショーケースに入った当事者 」
トークニズムの罠:形式的参画と「ショーケースに入った当事者」
当事者の「語り」が社会的に求められるようになり、学会や行政の委員会に参画の機会が増えた一方で、当事者の主体性が奪われる新たな構造的な罠、すなわち「トークニズム」が浮上してきました。
2.1 トークニズムの定義と当事者の屈辱
筆者がアメリカの当事者であるカーメン・リーや他の当事者と会話した際、「今、日本でいろいろな国や行政の委員会に一枠だけ当事者を入れるようになっているんだよ」と話したところ、彼女たちは一言「トークニズム!」と言い放ちました。
トークニズムとは、当事者参画が形式的、かつ機械的に行われることを指します。
当事者が、行政の委員会や学会など、いろいろな場に、言い訳として一つだけ椅子を用意される慣習を指します。
この言葉は、トークン(代替コイン。ゲームセンターなどのコインゲームのコイン)に由来しており、当事者はゲームセンターのコインと同じような価値でしかないのである、という屈辱的な意味合いを含んでいます。
トークニズムの姿勢とは、「あなたは発言してもいいです、でも意見は聞きいれません」という態度で委員会などが開かれることを示します。この罠にはまった当事者は「ショーケースに入った当事者」と呼ばれ、屈辱的な思いをします。
2.2 学術会議・研究の場における構造的排除
日本の学術集会や学術研究の場では、トークニズムの典型的な事例が見られます。
筆者は日本統合失調症学会に期待することとして、当事者や家族の積極的な参画が成功するにはどうすればいいのか、という問題を提起し、いわゆる「先生」にはどのような問題行動があるのか、というメタな問題も常に問い続けることを、日本統合失調学会に求めました。
2.3 筆者自身の「ショーケース」体験と抵抗
筆者自身、学術集会や研究会で、自らトークニズムの罠に足を突っ込んでみた経験があります。
さかのぼって、2000年前後、まだ表立って発言する当事者が少なかった時代、筆者は海外経験を背景に学術集会に呼ばれ、自分の言いたいことを山と発言していました。
当時はどこの学会へ行っても「患者ごときが何を言う」というような時代でした。
筆者は、会場のフロアのほとんどの人が怒り出し、フロアの人は、「自分たちが攻撃されている」と感じたらしく、筆者を責めつづけました。
筆者は話が全く通用しないと感じ、恐怖心をおぼえたこともあります。
また、講演をしたとしても、フロアの全員が顔も上げず、全く無視されたことすら起こりました。
このような場に対して、悲観、絶望、無力、恐怖を感じながらもさまざまな場に参加し続けるのは、筆者としては、次に続くほかの当事者が発言をするとき、それに対する準備があればよいと思っているからであり、学術集会、研究会では当事者参画が文化となっている時代が来てほしい希望を持ち続けていればこそです。
筆者は、人前で話す時には服装にも気をつけるなど、「ショーケースに入った当事者という自覚」を持ちながら活動してきました。
これは、当事者として最悪の経験をあえて引き受け、後に続く世代のために道を拓こうとする戦略的な行動でした。
2.4 国際会議における排除の経験
スティグマによる排除は、国際的な当事者運動の場でも露わになりました。
2003年のWFMH(世界精神保健連盟)メルボルン大会では、大会の閉会式での当事者提案の時間がなくなったことが当事者ミーティングの主要な議題となり、不平不満が噴出しました。
当事者ミーティングの参加者の一人は、この理事会での決議について、製薬会社が当事者の野蛮なところを嫌ってWFMHの役員たちに圧力をかけたと推測していました。
さらに、2007年のWFMH香港大会の閉会式で当事者声明を発表する際にもトラブルが発生しました。
当事者は壇上にあがることすらできず、フロアからの発表となりました。
会場責任者は「警備上の理由」から、予定されていない人は壇上にあがれないと言い、当事者たちは「私たち当事者を尊重しないアジアの嫌な面が出た結果」だと憤慨しました。
壇上に上がれず、筆者らがフロアから当事者声明文を読み上げる際も、与えられた5分の時間に対し、会場係から「後5分です」「時間切れです」とパネルを出して筆者らに時間を与えないよう圧力をかけてきました。
WFMHなどの国際会議では当事者たちからは、アジア圏における保守性も問題として指摘されています。
香港大会で当事者決議案を読み上げる際、あるピアスタッフは、所属団体からお金を出してもらってスタッフとして参加しているため、「当事者として前に出ると問題が発生するかもしれない」という団体の都合を理由に、発言を躊躇しました。
この態度を見て、「ああ、アジアは何でこんなに保守的なんだ」と深いため息をついた経験が筆者にはあります。
これは日本の2020年代においてもかいま見られる現象です。
これらの事例は、当事者参画が形式的に受け入れられても、決定権や発言の場においては、依然として専門家や組織の都合によって容易に排除され、当事者の主体的な声が封じられえる構造があることを示しています。
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