#リカバリー #こころの病の回復の道 #自らの人生の主導権を取り戻す道筋
はじめに
私たち精神障害者が、自らの人生の主導権を取り戻す道筋—リカバリー—は、長らく外部の専門家や社会の評価によって規定されてきました。
精神保健福祉の現場では、私たちは「頑張らないで」「症状が悪いのだから無理しないで」というメッセージを受け取り続けます。そうした環境の中で、私たちはいつしか、周りから許可された行動だけで満足し、自分で判断することを放棄してしまうのです。私たちは、人生の決断を「誰かに決めてもらう方が楽」だと感じたり、あるいは「身の丈にあったことをしなさい」と行動を制限されたりします。
しかし、本書が問うのは、その前提です。
私たちの人生の責任は、誰が負うべきなのでしょうか。
この論集は、長年にわたり精神保健福祉・医療が当事者に対して発し続けてきた「あなたが考える必要はありません。私があなたの人生を決めてあげますから」というメッセージ に対する、当事者からの鮮烈な応答であり、主体性の再獲得に向けたマニフェストです。リカバリーは、誰かが提供するサービスや、専門家が与えるゴールではありません。それは、私たちが自らの人生を「ボロボロでもいいから、自分で運転席に座って、自分の車を自ら運転する」と覚醒する、終わりのない旅なのです。
本書は、当事者自身の「語り」が持つ力を根拠に、既存の精神保健システムが内包する構造的な矛盾、偏見(スティグマ)、そして当事者同士の支え合い(ピアサポート)の原理を体系的に提示し、読者に対し、精神障害を持つ人々とその支援のあり方について、根本的な視点の転換を求めます。
1. 本書の目的と当事者としての立場(宇田川健)
私は、宇田川健と申します。本書の資料の多くは、私自身の体験や、私がNPO法人地域精神保健福祉機構・コンボの共同代表 として活動する中で見聞きし、発信してきた記録に基づいています。私は統合失調感情障害(スキゾ・アフェクティブ)の当事者として、大学在学時のうつ病発症以降、躁鬱を繰り返し、4回の閉鎖病棟、2回の保護室の経験をしました。
私は精神科病院での入院中、隔離された保護室の中で、手紙のやりとりすら制限されるという状況に直面しました。また、ある時、白い服を着た集団に囲まれ、「部屋を汚した」という理由で、両手首、両足首、胴体の5点拘束を命じられました。その際、「家族の者は、拘束っていうことは縛るっていうこと、理解してますか?」と問うたところ、医師は「大丈夫です」と二度答えるだけで、何が大丈夫なのかはわからなかったのです。このような経験は、人間の尊厳を奪うことがいかに簡単にできるのかを痛感させました。
しかし、私の活動の原点は、この屈辱的な体験の中からも、リカバリーの可能性を見出したことにあります。拘束中に、他の入院患者がデイルームで私を含めた皆に向けて「寄せ書きごっこ」という形でピアサポートを続けてくれていたからです。この経験を通じて、私は**「拘束されていても、リカバリーの過程にいる当事者でした」**と叫ぶことができました。
本書は、私自身の経験や、海外の当事者(例:ロサンゼルス精神保健協会のプロジェクト・リターン)との交流、そしてNPOコンボを通じた活動 を通して得た知見を集積することで、日本の精神保健福祉医療を当事者中心に変革するための土台を作ることを目的としています。
2. リカバリーをめぐる言説の多様性とその本質
リカバリーという言葉は、私たち当事者にとっては「自らの語るべきストーリーの総体」であり、人生を肯定し、希望を持って生きることそのものです。それは、症状が再発してもOKなプロセスです。再発は、私たちが自らの価値に合わせて「チャレンジングな行為」をした結果としてつきものであり、**「私という名の自然現象」**の一部だったと肯定できるものです。
私たちが世界各国の当事者同士で共有し、最小限の原則として認めている要素は以下の4点です。
1. 決定すること
2. 責任を取ること
3. ピアサポート
4. ものの見方が変わること
このうち、「決定」と「責任」はセットであり、私たちが自ら選んだ人生の責任を最後まで負う姿勢を指します。
しかし、リカバリーをめぐる言説には多様性があり、それが混乱を生んでいます。専門家や研究者からは「メディカルリカバリー」(病気の寛解状態)や「社会的リカバリー」(社会復帰)といった概念が提示されますが、私たち当事者から見れば、パーソナルリカバリーという事柄しか意味はありません。専門家による「臨床的リカバリー」や「社会的リカバリー」といった分類は、当事者の希望や価値、語るべきストーリーにはなんの関係もない、専門職が自らを評価するための指標に過ぎないのです。
そもそも、リカバリーという概念自体、精神科の医師や医療従事者が精神疾患を医学的に治せなかったために、「こねくりあげて造語」せざるを得なかったものではないか、と私たちは考えています。私たちの究極の望みは、精神疾患が治癒し、社会的な不利益がなくなることで、リカバリーという言葉が遠い将来必要がなくなる時代が来ることです。
3. 経験という名の「エビデンス」の価値
私たち精神障害者が全世界で見渡しても共通して持つ特質、それは**「私たちには語るべきストーリーがある」**ということです。このストーリーとは、私たちの人生を振り返ってみて「印象に残ること」であり、自分だけの大切な物語です。
専門家は、自らの主張の真正性を保証するためにデータや統計といったエビデンスに頼る必要があります。しかし、当事者の経験は、専門職の科学的な分析や客観的なデータに先んじる**起点(Narrative)であり、「当事者の経験の語りが、エビデンスである」**と主張することは、当事者だけに許されることなのです。
NPOコンボは、この「語り」の価値を信じ、2007年の発足以来、月刊誌『こころの元気+』を発行し、当事者本人が顔写真と実名を出して記事を書き続けることを活動の核としてきました。これは、診察室や面談室では決して知り得ない、**当事者や家族の「本音」**を現場の専門家が学ぶ場となっているのです。
デジタルデータが溢れる現代においても、この「語り」は必須です。データが提供する「空間的なスペクトラム」を横糸とし、当事者の**「時間軸の捉え方としての語り」**を縦糸として交わらせることで、初めて目の前の人を理解できます。この語りを見失えば、どんなに高度なデータ解析も意味をなさないのです。
この「語り」を封じようとするものこそが、当事者のリカバリーと、社会的なバリアフリーの最大の敵です。海外の当事者仲間も、「当事者が言いたいことが言えなくなることが、アンチスティグマの最大のバリアである」と指摘しています。行政や学会の委員会に**「言い訳程度に」当事者を一人だけ参加させるトークニズムは、「ショーケースに入った当事者」を生み出し、当事者の自由な発言を封じてしまう罠です。私自身も、不安を感じながらもあえてトークニズムの場に参加し、「次に続くほかの当事者が発言をするときの準備」**となるよう、自らの経験を誠実に語り続けてきました。
4. 本書の構成と読者への問いかけ
本書は、リカバリーとは管理からではなく、当事者が自らの意思で選択し、その責任を取ることで覚醒するという一貫した視点から構成されています。当事者は、単なる病気の被験者ではなく、常に人として何者にも代えられない価値があるのです。
私たちの仲間は精神病を患っていても、「正気」怒るのが普通であり、その怒りを精神病の症状だとして病院に連れて行かれるような社会は「狂気」です。
精神疾患の原因探しや、症状ばかりにとらわれるのはやめて、いかに生きるかを自分たちで決め、その責任を自分で負うことが求められます。
さあ、この本全体を通して、人生の主導権は誰にあるのか、というこの根本的な問いを、私と共に深く考えていきましょう。
【最後までお読みいただきありがとうございます。
もしよければ、アンケートにお答えいただけますと幸いです。】
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