#自分は正しい #世界が間違っている という感覚 #世界とのつながり と #ピアサポート

コロナ禍における「自分は正しい、世界が間違っている」感覚

デジタル時代における孤立と不安は、新型コロナウイルスの流行という未曾有の事態によって、さらに深刻化しました。


筆者の当時の経験からいえることは、孤立は当事者が抱える特有の不安や妄想を増幅させました。


新型コロナウイルスの流行に伴い、「○○の種類のものがほとんどの店の店頭からなくなっている。しかし、あそこの店には売っている」という情報を見つけたり、筆者自身は、なにか行動をしないと近いうちに家族が死ぬのではないかという、強い不安の中で過ごす日々が始まりました。


統合失調感情障害を持つ筆者にとって、このような感染症の流行に伴う、閉鎖、他者への疑惑、不安、孤立、そして自らが物理的距離を取り、他者からは避けらているかのように、物理的距離を取られている状況においては、むしろ統合失調症の症状のようなものが、発症する直前の状況を思い出すような状態となりました。


統合失調症を発症して以来、コロナ禍以前は、日常から「自分が正しい、世界が間違っている」「自分については疑いがない、一方、世界のすべてを疑っている」ことに気がつくと、そのときには統合失調症の症状が出ているものとして行動を修正し、気をつけて生活してきました。


しかし、コロナ禍においては、この「自分は正しい、世界がおかしい」という感覚は、筆者だけではなく、だれにとっても、環境として作られてしまっているという状況に気づいたのです。


一方で、継続する強いストレスに晒された一般の人々は、うつ病という、わかりやすく重症ではなさそうな、診断名を付けたくなる傾向がありました。


そこから様々なことをインターネットで調べては、派生することを自分に当てはめ安心し、「コロナうつ」という造語に頼ることで、落ち着きのいい不安を手に入れようとしていました

身体の疾患での緊急入院と妄想の増幅


新型コロナウイルスの流行下、筆者は腸閉塞になり、自宅近隣の外科病棟へ緊急入院しました。


入院中は絶飲食となり、精神科の薬が飲めなくなった時期がありました。


入院初日、防護服を着る練習をしているナースを見た後、すぐに妄想が始まりました、「自分はここから生きては帰れない、新型コロナウイルスで死ぬのだ」と思い込みました。


入院1~3日目になると、親しい人や家族に電話をかけまくり、点滴に毒を盛られ、医療従事者に殺されるという妄想が筆者に始まりました。


また、絶飲食状態で抗精神病薬が飲めなかった時期があったため、感染への恐怖が激しくなり、消毒液の入った石鹸で手を洗い続け、手の皮膚が細かくめくれ、肘まで肌がボロボロになっていきました。


検査のために階を移動するたびに感染をしてしまったという強い妄想にかられ、恐怖感で体が硬直する状態となりました。


不眠と強い不安の中、妄想に苦しみ、ナースや担当医を疑い続けたのです。


この状況は、「他者の言葉、他者そのものに対する疑いや疑問を感じながら時間がどんどん過ぎ、他者そのもの、他者の言葉・警告を信じる、信じないはあなた次第である」という、極度の孤立状況を体現していたともいえます。


孤立環境下でのピアサポートの可能性


さて、コロナ禍のような最悪の事態、すなわち「孤立へと自分を追い込む環境」と思われていた状況であっても、ピアのつながりがその壁を乗り越える可能性を感じられる出来事もありました。


世界中の誰もが孤立し、不安の中で物理的な距離をとる状況となったからこそ、かえって人と人との近さを感じる機会ができたのだろうと言えます。


例えば、リモート会議システムを用いて開催された、リカバリー全国フォーラムのピアスタッフ分科会では、日本とアメリカ合衆国という太平洋を渡る距離を無視する工夫ができました。


ワシントンのナショナルエンパワーメントセンターのダニエル・フィッシャー氏と、日本ピアスタッフ協会の磯田氏との対談が実現したのです。


その契機となったのは、私とダニエル・フィッシャー氏が20年以上前から知り合い程度ではあったが、つながっていたためであり、20年ほど前に実際にロサンゼルスまで出かけていって直接に話し合ったためです。


コロナ禍における、孤立の時代においても、物理的距離を無視して、一度は会ったことがある人同士が、互いに安否を確認しながら、世界とつながっていける状況が生まれたのです。


当時の最悪の事態は、ひっくり返せば、以前は知り合いではなかった当事者団体のリーダー同士が、つながりを見出し、今後もそのつながりを続けていこうという約束をするなど、新たな出会いを促しました。


そのように、デジタル時代では、コロナ禍のような事態は、かえって不安は深く、孤立を生み出しますが、同時にデジタルツールは、当事者たちが自らの「語り」と「知恵」を発信し、絶望の検索語の先に希望と生存の確認を提供しあうプラットフォームとしての機能を担っているのです。


デジタル時代の不安は、私たち当事者の内面に深く入り込み、妄想や孤立を増幅させます。


しかし、例えば、筆者はウェブ解析技術を用いて「オーバードーズ」を検索する人たちが「まだ生きている」ことを確認できるとき、筆者はデジタルな波の向こうに、助けを求める仲間を見出します。


リカバリーとは、個人としては過程であり、終わらないものですが、集団としては結果として、孤立の中で薬が役に立たないと知った上で、ピア同士が経験という名の「知恵」を共有し、お互いの生存を確認し合う、人間的なネットワークの再構築にほかならないのです。


物理的な距離が広がっても、デジタルな「語り」が、私たちを真に繋ぎ、生きる力を感染させているのです。


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